おにぎり・おむすびの歴史

お結びさんどannaは、おむすびの新しいスタイルをご提案していますが、日本では古くからあるおむすび。
お弁当や朝食、昼食、夜食や軽食などさまざまなシーンで食べられています。
自分や家族が握ったものをはじめ、スーパーやコンビニ、専門店で買う機会も多いかもしれません。
日本人になじみ深い国民食の一つ、おむすびはいつからあったのでしょうか。

おにぎり・おむすびの歴史

おにぎりはいつからあったか

おにぎりは、戦国時代の戦に向かう携帯食として広まったなどという話は聞いたことがあるかもしれません。
ですが、実際にはいつからあったのでしょうか。
歴史を紐解くと、弥生時代の中期から後期、紀元1世紀頃におにぎりの原型があったのではと言われています。
石川県旧鹿西町(現在の中能登町)のこの時代の遺跡から、もち米を蒸して固めて焼いた、おにぎり状のチマキ炭化米塊が発見されたためです。
さらに、奈良時代初期(717年~724年頃)に編纂されたとされる「常陸国風土記」の記述に握飯(にぎりいい)との言葉が残されており、これもおにぎりのことではと言われています。

おにぎり普及の歴史

おにぎりまたはその原型となるものが広まっていった歴史を見ていきましょう。
平安時代の794年~1185年頃には蒸したもち米を握り固めた屯食(とんじき)という食べ物を、貴族が従者に振る舞うことや兵士が携帯したという歴史が残されています。


鎌倉時代初期の1221年には鎌倉幕府側についていた武士たちに、梅干入りのおにぎりが配られたとのことです。
これが梅干が広まるキッカケと言われています。
鎌倉時代末期になると、おにぎりのお米がもち米ではなく、現代と同じうるち米が用いられるようになりました。
戦国時代に入ると、戦の携帯食として、お米と一緒に刻んだ間引き菜を炊いた菜飯で作るおにぎりが定番になりました。
豊臣秀吉が天下を統一すると、赤米や黒米に比べて、生産量が多くなった白米でおにぎりが握られるようになります。
江戸時代にはお弁当としておにぎりが利用されるようになり、農作業の合間の食事や旅人の携帯食として重宝されました。
元禄時代になるとアサクサノリの養殖が始まり、おにぎりに海苔を巻くようになります。
明治2年には日本橋で開発された味つけ海苔が、明治天皇が京都に行幸される際のお土産として献上され、京都から近畿地方を中心に、味つけ海苔を巻いたおにぎりが主流になっていきました。
明治18年には宇都宮駅で日本初の駅弁が販売されました。
お弁当の中身は、黒ごまをまぶした梅干入りのおにぎり2個にたくあんを竹皮に包んだものだったのです。
明治22年、山形県鶴岡町(現在の鶴岡市)の小学校で、日本初の給食が提供されます。
貧困児童のために提供されたものですが、おにぎりと塩鮭、菜の漬物が定番献立でした。
外での食事の機会には必ずといって良いほど登場したおにぎり、家庭や地域でも外出時や人の集まりにはおにぎりが握られてきました。
そして、昭和53年にパリパリの海苔を後巻きするコンビニおにぎりが登場しました。

おにぎりは日本だけ?

世界最大級の旅行サイト「トリップアドバイザー」の調査結果によると、日本のお米の消費量は、世界で50位と意外にも突出して高いというわけではないのですが、調べた限り、おにぎりは日本特有の食文化のようです。ただ日本以外でも、中国、台湾、タイなど東南アジアではおにぎりは作られているようです。握りやすい粘りけのあるお米は東南アジアにしかないこと、おにぎりにつきものの乾燥海苔(すき海苔)も日本・韓国にしかないからではないかという説を見ます。

まとめ

おにぎりの原型と思われるものが登場したのは、弥生時代とされます。
その後、戦の携帯食や駅弁、給食としても利用されていきました。
もち米からうるち米になり、味つけがなされるようになり、さらにコンビニおにぎりが生み出されるなど歴史を刻んできました。

そして今、お結びさんどannaは新たなおむすびのスタイル「お結びさんど」を提案しています!
ぜひ召し上がってみてください!

横浜・関内でお待ちしています!

著者のイメージ画像

白澤 慶

「創作バル&お結びさんどanna」のオーナー。「Lounge Kiyora」のオーナーでもある。